2013年9月21日土曜日

他者に超人的な知能・判断・行動を期待するな。自分でやればいいこと。

▲どう言えばいいのかな。

 この頃、自分のことをさておいて、他者に超人的行動というか、超人的な知能を期待して、それができなかった—と他者を「責める」ということが多過ぎないか。

 先日の、仙台地裁での判決でもそうだ。
 2年前の大震災の際、幼稚園が適切な行動をとらなかった →だから、自分の子供が亡くなったのだ—と、幼稚園を責める。
 地裁での判決は、幼稚園に過失があるとして、幼稚園に賠償を支払え—と判示された。

 しかし。
 この裁判、高裁か最高裁のいずれかで逆転するだろう。
 なぜって、それは上でふれたように、他者に「超人的な知能・判断力」を期待したものだからだ。
 あのマグニチュード9.0などという未曾有の大災害の際に、冷静に的確な判断・行動ができる人間がどれほどいる。

 幼稚園の先生って、普通の人間なのだぞ。
 スーパーマンである訳があるまい。
 あの震災で生き残った人は、本当に「運のいい人」だけなのだ。

 同じように。
 子供にアレルギーがあった。
 小学校の給食の際に、アレルゲンというか原因物質の入ったものを不注意に食べさせた →だから、子供が亡くなったのだ --と。

 バカな—と思わないか。
 その子供だけは、「弁当」にすればいいことではないか。
 なぜ、そこまで小学校の先生に「超人的な知能・行動」を期待するのだ。
 自分の子供は自分で守れ。

 責めるべき相手を間違えているではないか。
 責めるべき対象は、「自分」であろう。

 以下、新聞から抜粋。

 東京都調布市立富士見台小学校で食物アレルギーのある女児が給食を食べた後に死亡 した事故で、都教委が担任だった教諭と当時の校長を処分したことを受け、女児の両親が 、「どんな処分が出ても、娘を失ったつらさが減ることはない。
 教育現場全体で責任を重く受け止めてほしい」と話した。

 市の検討委は事故後、再発防止策をまとめたが、市立杉森小学校で今月4日、イカアレルギー の男児に、イカのすり身が入ったさつま揚げを提供した。
 女児の両親は「確認をしっかりすれば誤食は防げる」とした上で、「娘が何のために命を 落とさなければいけなかったのか。
 アレルギーのある多くの子供のためにも、学校関係者は 認識をもっと高めてもらいたい」と訴えた。

▲補足、感想など

 なんという言い草だ。
 それは子供を亡くされた悲しみは理解できる。

 しかし。
 冒頭でふれたように、「悪いのは皆、他人だ」--という姿勢をとり続けている。
 自分にはなんの責任もミスもないよ—と言っているということか。

 冒頭でふれた大震災の際に、子どもを亡くし、幼稚園を責めているのと同じだな。

 何度でもいおう。
 他者に超人的な知能・行動を期待するな。
 小学校の先生って、普通の人間なのだ。スーパーマンであるわけがない。

 そんな危険なアレルギーがあるなら、自分の子どもだけ、毎日、母親が弁当を作ってやればいいことではないか。
 そういう努力をしたのか。

 他者を責める前に、自分でなにかやれることはなかったのか。
 そういう反省の方が先ではないのか。

 他者というものは、たいてい「普通の能力」しかない人達なのだ。